雛人形の装束は、人形の印象を決める大きな要素のひとつだ。特に、金で紋様を織り出した豪華な生地は「金襴(きんらん)」と呼ばれる。光沢のある滑らかな質感の布に、多くは雛祭らしい春の花や縁起物の柄が配置されており、節句を祝うおめでたいモチーフを、晴れの日にふさわしい華やかな金で彩ったものである。
金襴は、古くから人々の特別な一日を彩ってきた織物だ。一方で、こうした「非日常感」と「高級感」の演出は、時代とともに大きく移り変わるものでもある。人の世に寄り添う、現代らしい金襴の在り方を追ってみよう。
金襴とは、金銀の箔や糸などで紋様を織り出す豪華絢爛な織物のことだ。主に華やかな金地を多用する能装束や帯、人形衣装、寺社の装飾用布地、僧衣などに使われる。書画の表装や茶道具に用いられた古い金襴の品物は、現在でも名物裂として珍重されている。
もとは中国に起源を持つ紋織物の一種で、日本には、鎌倉時代に宋から訪日した禅僧が、僧衣や書画の付属品として持ち込んだことが始まりとされる。その後、天正年間(1573 ~92)には、明の職工の指導の下に日本国内で織られはじめたようだ。
和紙の表面に漆を塗り、24金または銀の箔を貼り付けて、1ミリメートル以下の極細幅に裁断したもの。日本では、薄い金箔・銀箔と丈夫な和紙の製造技術が発達していたため、よく普及したとされる。織地は平坦な仕上がりになり、広い面に豪華な金の光沢が広がる。
絹糸や綿糸を芯材にして、上から金銀の切箔を縒り付けたもの。箔とは違って表裏がないため、通常の糸と同じように製織に用いることができる。引き箔に比べると立体的な織地に仕上がることもあり、広い面よりも繊細な紋様の表現を得意とする。
近年では、本金を用いる代わりにポリエステルやナイロンなどの合成繊維とアルミニウムなどの安価な素材を使って、金銀糸に近い色合いのラメ糸を作る手法もある。
金襴の製織にあたっては、昔ながらの手機(てばた)、または動力で運転する力織機が用いられる。力織機といえども、手機で行う作業のうち、単純作業にあたる部分を動力が代替してくれるというだけのことで、工程やノウハウの多くはさほど変わらない。織物の品質は、機よりも織手側の知識や経験、手技の差によって決まるところが大きいのだ。
通常、機織りとは経糸の間に糸を巻いた杼(シャトル)を往復させながら織り進めていく、その繰り返し作業だ。ここに引箔を用いる場合は、極細に裁断された箔を一本ずつ端から引っかけるようにして取り込み、経糸の間を通しながら織物の幅を一方向にだけ横断させる。引箔は、糸ではなく「箔」だから、平面状で表裏の区別があり、よれたり裏返ったりすることなくまっすぐに引き込まなければ、均一で美しい面をつくることはできない。引箔の扱いはとりわけ難しく、最も熟練を要する技術のひとつだという。
特に織手の手腕が問われるのは、夏向けの薄物を織る時だ。薄物を織る際は、あらかじめ経糸に糊を塗り、そこに水で湿らせた緯糸を走らせる。「濡れ緯(ぬれぬき)」と呼ばれる手法である。糸に含ませた水分が乾く過程で織目は通常よりも強く締まり、パリッとした質感のしっかりとした生地に仕上がる。
濡れた緯糸が走ると、経糸に塗った糊は水分に触れて一度溶けるが、それが再び乾いて固まるまでの間はごくわずかだ。その日の気温や湿度の条件によっては、わずか数十秒で乾いてしまうこともあり得るという。そして、前後の糊の乾き具合に差が出ると、その境目は、まるで全く別の緯糸を走らせてしまったように色も見え方も大きく変わってしまう。
一方、織手は機を操っている間にも糸を巻いたり、機の後ろ側に回って経糸の具合を確認したりと忙しく歩き回りながら機を管理しており、常に付きっ切りで機の前に居られるわけではない。となると、現実的に織手に求められるのは、トラブルを起こさないことよりも、トラブルへの対処技術のほうだ。
対処の方法としては、問題の起きた箇所まで解いて再び織り直す以外にないが、薄物の場合は糊の影響がある分、単に戻って織り直すだけでは済まない。織段のできた前後の箇所を再び濡らして、境目を自然にぼかすような繊細な手技が必要となる。
金襴は、元々は仏寺向けの法衣や装飾品用途を主として発展を続けてきた織物だが、その多くは各寺の寸法に合わせた受注生産の特注品だ。だが、近年の仏寺では檀家数も減少しつつあるうえに、コロナ禍を経て仏事が簡略化されるケースが増えている。
そこで近年、他分野での需要を探るため、京都市内にある金襴織元・加地金襴では既存のデザインの大幅な見直しを行ってきた。約1,500ほどのオリジナルの柄を保有していたが、多くは仏寺向けの柄で、しかも金銀を多用する豪華絢爛な配色である。これをそのまま他の用途に転用するのは難しい。
派手で豪華な色柄を織れる金襴織元は、他にもたくさんある。それならと加地金襴が志向したのは、現状のデザインからの徹底した引き算だ。柄の配色変更から始めて、金・銀の面積を減らし、より落ち着いた色合いに、よりシンプルで上品に。こうして色・柄を削ぎ落としていって生まれたのが、主にウエディング用途を想定した白生地である。
白と金銀糸を交えて織られた光沢感のある生地の上に、同じ色で柄が浮かび上がる。織りの組織設計によって生地表面に凹凸をつくり、あくまでも上品かつ控えめに柄を織りだしたものだ。この生地は、思いがけないことに2019年、皇族衣装を担当するデザイナーからの引き合いがあった。実際に数着分の皇室洋装に用いられ、以降も毎年、継続した受注があるという。
従来の和装が持つ優美・端麗な魅力と、現代的な時流に合った控えめな上品さを併せ持つ「金襴の白生地」。その進化は、さまざまな分野から注目と期待を集めている。
2024年1月、京都の金襴織元・加地金襴の副社長に、金襴織手の坂田雄介さんが就任した。坂田さんは30歳頃まで建築会社で施工管理の仕事に従事したが、その後、畑違いの加地金襴に転職。手を動かして、直接ものをつくる仕事がしたかったのだという。
「手仕事の世界に、ずっと憧れがあった」という坂田さん。入社以来、坂田さんを指導してくれた織手の師匠は、90代になってなお現役だ。年配の職人らが長い歴史を経て蓄積してきたノウハウと、専心して研ぎ澄ましてきた技術には圧倒されるし、強い尊敬の念がある。一方で、いざ飛び込んでみると、織物に限らず伝統産業の業界は高齢化も進み、新しい風が通りづらいとも感じることがある。
「希少な技術をしっかり守って次世代に渡さなきゃいけない、その点は私も全く同じ気持ちです。だけど“伝統を守る”という文言を、チャレンジしないこと、変わらないこと、それを正当化する理由にしてはいけないとも思う」と坂田さんは言う。
近年では、仏寺向けにもサイズやコストを大幅に見直した新製品をリリースして好評を得ることができた。革新的なデザインだった金襴の白生地は、着実に実績を伸ばしつつある。極めつけには先日、世界的アーティストのマサ ハヤミ(Masa Hayami)氏による作品を再現した織物が、民間のロケットで宇宙に打ち上げられ、現在、宇宙空間を遊泳中だというから驚きだ。天然素材の織物が宇宙空間でどのように変化するのか、科学的な観点からも注目を集めるプロジェクトである。
「他の人ならやらないだろうという仕事でも、坂田なら面白がるんじゃないかって、皆さん次々に変わった案件を持ち込んでくださるんです。私自身も、なんだか壁を壊していくのが楽しくなってきちゃって」。
打ち上げたロケットは、2024年春に帰還する予定だ。坂田さんの視座は、もはや業界の壁を軽々と飛び越えて、未踏の新天地を目指している。