おかげさまをもちまして「ぼうだより」は、1960(昭和35)年1月の創刊より、本号で500号を迎えることとなりました。これもひとえに読者の皆様の温かいご支援、ご愛顧の賜物と厚く御礼申し上げます。
本稿にて、昭和から平成に渡る神戸製鋼所の溶接事業・神溶会の歴史を、誌面を見ながら振り返りたいと思います。
初めて神戸製鋼が被覆アーク溶接棒の製造を手掛けたのは1930(昭和5)年。まず社内の補修溶接用として手塗り棒の生産を開始しました。その後、海軍と協力して高級溶接棒の国産化に成功、B-17の誕生です。戦中の1943(昭和18)年に被覆アーク溶接棒専門工場である日高工場が完成しています。
神鋼溶接棒の戦後は、祖国復興と工業生産の再建に真剣に取り組む男達が全国講習会のキャラバンを行うことから始まりました。この講習会を通して広く全国に神鋼熔接棒の名前と高い技術水準が知らされ、その後の基盤が築かれたといっても過言ではありません。
1952(昭和27)年日本で最初の専属制全国販売組織「神熔会」が誕生。全国どこでも、いつでも溶接材料が入手できる体制が整えられました。
神熔会が本格的に稼働し始めた1955(昭和30)年は、神武景気が始まった年でもあります。昭和31年には日本が国連に加盟しました。同年の造船進水量は世界一となっています。
1955(昭和30)年1月1日に「ぼうだより」の前身「神鋼棒だより」が発行されました。熔接部試験課(当時)による作成で、手書き・ガリ版刷りの全12ページ。発刊の辞で「最近の熔接棒の進歩発展を解説しながら神鋼棒の各種銘柄を紹介し、また神鋼熔接棒とつながりのある人々の広い連絡機関とするために『神鋼棒だより』を発刊することとなった」とあります。世界水準の品質および品種の溶接棒が国産化され急速に溶接棒が進化する中、溶接棒の進歩発展は神戸製鋼がリードし日本の溶接工業界の発展につなげたいとの思いが込められています。なお、創刊前年の1954(昭和29)年には神鋼溶接技術補導所(現在の溶接研修センター)が神戸本社山手工場に設立されました。
「神鋼棒だより」創刊号の記事は「神鋼棒銘柄の名称の生い立ちについて」「神鋼棒の系統図」「新製品紹介(現存する銘柄ではHF-350、HF-600)」「イルミナイト型溶接棒について」でした。
1959(昭和34)年に鉄鋼事業部内の溶接部が溶接棒事業部として独立しました。
●ぼうだより関連事項
●溶接関連事項
1930(昭和5) |
●神戸製鋼が被覆アーク棒の製造を開始 |
1939(昭和14) | 第二次世界大戦勃発 |
1943(昭和18) | ●日高工場完成 |
1945(昭和20) | 太平洋戦争終結 |
1952(昭和27) | ●神熔会誕生 東京国際空港(羽田)開港 |
1954(昭和29) | ●神鋼溶接技術補導所 開所 |
1955(昭和30) |
●溶接棒機関誌「神鋼棒だより」創刊 ●神熔会会則制定 神武景気 |
1958(昭和33) | ●第1回神熔会総会開催 一万円札発行 |
1959(昭和34) | ●溶接棒事業部として独立 |
1960(昭和35) |
●現在の「神鋼溶接棒だより」発刊 ●神溶会に改名 ●赤カタログ誕生 |
昭和30年代後半は「もはや戦後ではない」という経済白書のことばに表されるように、日本が高度経済成長を成し遂げた年代です。政府は所得倍増計画を発表し、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に向けて東海道新幹線などの建設も進みました。
溶接棒事業部では、1961(昭和36)年に藤沢工場、翌年には茨木工場が相次いで完成。同年には神鋼溶接技術補導所が藤沢に移転し神鋼藤沢溶接教習所として発足しています。溶接材料としては、1962(昭和37)年には立向下進溶接棒の開発と実用化、1964(昭和39)年片面自動溶接法(FCB™, RF™)の開発、1965(昭和40)年炭酸ガスアークフラックス入りワイヤ(DWワイヤ)の開発実用化と技術開発が進んでいます。
1960(昭和35)年に業界専用雑誌第一号として誕生した「神鋼溶接棒だより」は、技術知識のほかに代理店さんとの座談会、旅行記、特約店訪問記など神溶会と一体となった誌面でした。その目的は、生産者と販売関係者の緊密な連携のために、神鋼棒販売網に対して工場の動き、業界の情報を互いに知りあうためであり、創刊号の記事は、「最近のハイテン」「溶接棒のできるまで」「相談室」「特約店訪問記」「統計(鉱工業生産指数、機械受注状況、厚中板および溶接棒生産高)のページ」となっています。
翌1961(昭和36)年からはセールス知識の講座、サービスカー需要家訪問などの記事が新たに加わっています。
昭和30 年代を振り返ってみると、1961(昭和36)年の「第一回ジャパン・ウエルディングショー」の開催に見られるように溶接業界の発展、技術の急速な進歩が「棒だより」の内容を充実させ、当時あまり聞きなれなかった「マーケティング」という用語がよく使われています。なお技術記事の内容は好評につき、1961(昭和36)年にはユーザ向けに「季刊 神鋼溶接棒だより」が、別冊として発行されました。
経済成長が最高スピードに達した1968(昭和43)年、国民総生産が世界2位となり、GNPという言葉が広くもてはやされるようになりました。1969(昭和44)年にはアポロ11号が月面に着陸、1970(昭和45)年には大阪で万国博が開催。世にいう「いざなぎ景気」で活況に満ちた経済活動が行われていました。このころまでの「神鋼溶接棒だより」は昭和36年10月号=56ページ、昭和41年1月号=42ページで、とくに技術解説に多くのページを割いています。1967(昭和42)年からは毎月発行が定着しました。
1968(昭和43)年には神鋼溶接棒販売量100万トンを達成し、同時に100号を発行。当時の記事を見ると1967(昭和42)年「インドネシアより第6回現場指導者溶接コース参加」、1969(昭和44)年「速度250キロで突っ走る山陽新幹線試作車。オールアルミをMIG溶接で」などの見出しが目につきます。
1970(昭和45)年の毎号の表紙は万国博の各パビリオンを紹介しました。明るい話題で満ちているのが昭和40年代前半の特徴です。
燦然と輝く「100」の数字!表紙のことばも100づくしです。
1961(昭和36) |
●「季刊 神鋼溶接棒だより」別冊にて発行 ●藤沢工場完成 第1回ジャパンウエルディングショー開催 |
1962(昭和37) |
●茨木工場完成(山手工場廃止) ●神鋼溶接技術補導所が「神鋼藤沢溶接教習所」として新発足 キューバ危機 |
1964(昭和39) |
●月刊「神鋼溶接棒だより」友の会制度発足 会費は年額200円(当時) 東海道新幹線開通第18回オリンピック東京大会開催 |
1968(昭和43) |
●「神鋼溶接棒だより」100号発行 ●神鋼溶接棒販売量100万トン達成 |
1969(昭和44) |
アメリカの「アポロ11号」月面着陸に成功 第1回国際ウエルディングショー開催 |
1970(昭和45) |
●西条工場完成 日本万国博覧会開催(大阪) |
1971(昭和46)年の円切上げに始まり、1973(昭和48)年の第一次オイルショック、1976(昭和51)年からの低成長時代への突入と、昭和40年代後半から50年代にかけて日本経済は大変動の時代を迎えます。
これに呼応して「棒だより」も様々なアイデアで誌面作りに取り組んでいます。1971(昭和46)年から1977(昭和52)年までは、正方形に近い変形サイズで発行されました。表紙に切り絵が登場し、その原画プレゼントが実施されたり(昭和48年)、「今月の体力づくり講座」と題してサラリーマンの健康管理が取り上げられた(昭和49年)のも、激動の時代での創意工夫とみなすことができます。
販売網機関誌の兄弟ともいえる技術専門誌「技術がいど」の発行は1975(昭和50)年1月から。翌年にソリッドワイヤの最新鋭工場福知山工場が誕生したことと合わせ、こうした専門月刊誌が発行されたことは溶接業界に新しい波が訪れたことを示しています。
1973年にはクイズ「あなたならどう答えますか」(1962年~)の優秀解答者1名に、表紙の切り絵をプレゼント。
1973年10月号の特集「体力づくり」
技術がいど誕生!
(「季刊神鋼溶接棒だより」から通巻のため第57号から)
1971(昭和46) |
●誌面変形サイズに ニクソン・ショック/円切上げ |
1972(昭和47) | 第11回冬季オリンピック札幌大会開催 |
1973(昭和48) |
●汎用溶接装置・省力化機器の販売開始 石油ショック(第1次) |
1975(昭和50) |
●技術専門誌「技術がいど」発行 |
1976(昭和51) |
●福知山工場完成 |
1978(昭和53) |
●誌面がB5版サイズに変更 ●ZERODE溶接棒販売キャンペーン 成田新国際空港開港 |
1977(昭和52)年にJISが改定され、業界のなかで労働安全衛生の問題がクローズアップされました。1978(昭和53)年の見出しに「低ヒューム時代来る。ゼロードキャンペーン実施中!」とみられるように、「棒だより」でもこうした新しい溶接時代に対応し積極的な普及活動を行ってきました。同年に皆様ご存知のZERODE-44が上市されています。
1978(昭和53)年には誌面がB5版サイズに、翌年には横書きから縦書きへ変更されています。1979(昭和54)年「アークマンウェルディングショーで公開」、1980(昭和55)年「工場は今・・・」、昭和56年から続く「ディーラー訪問」、「経営講座」「装置ロボット関係の特集」などが掲載されています。1979(昭和54)年に溶接ロボットARCMAN™を上市、80年代にかけてARCMAN™ S、EXシリーズが登場、1983(昭和58)年1月に装置ロボット室が新設されるなどロボット化のニーズが高まっている時代背景が伺えます。
1986(昭和61)年より「お先にワイヤ」のキャンペーンが始まりました。1985年に神鋼フラックス入りワイヤを「お先にワイヤ」と命名。80年前半より造船を中心に使用が拡大してきたフラックス入りワイヤを、一般市場にも拡大する試みです。ちなみに1983(昭和58)年の全溶接材料に占める被覆棒の比率は50%、半自動用ワイヤが38%で、フラックス入りワイヤの比率はわずか4%でした。同年の「神鋼溶接棒だより」のユーザールポでは、DW-100やMX-100を採用されたユーザの声や、神溶会会員社の皆様のキャンペーンへの熱心な取り組みが記載されています。1987(昭和62)年には「ステンレス鋼でも『お先にワイヤ』」としてDWステンレスワイヤシリーズが紹介されています。軟鋼用フラックス入りワイヤとしてはMX-100S、100T、DW-110が紹介されています。
なお1987(昭和62)年3月号より隔月発行となり、「ぼうだより」となりました。
同年5月号で神溶会シンボルマークを募集し、同年10月の神溶会総会にてシンボルマークをお披露目しています。
1979(昭和54) |
●誌面が横書きから縦書きに変更 ●ARCMAN™上市 東京サミット開催 |
1983(昭和58) |
●装置ロボット室新設 石油ショック(第2次) |
1984(昭和59) |
●「神鋼溶接棒だより」300号発行 |
1986(昭和61) |
●「お先にワイヤ」キャンペーン開始 三原山大噴火ハレー彗星出現 |
1987(昭和62) |
●「ぼうだより」に誌名変更(隔月発行に) ●神溶会シンボルマーク制定 国鉄民営化、JRとしてスタート |
1989(平成元)年以降も、お先にワイヤのキャンペーンは「ザ・クリエイション」「ザ・クリエイションΣ」と継続して行われました。「顧客を創る」「商品を創る」「人を創る」をテーマに、神溶会各支部による独自企画を行っています。いわゆる「マーケティング活動」に通じるところがあり、1990(平成2)年には「使ってみませんか!企画提案型営業の図表」をテーマに、企画提案の手掛り・開拓セールスでの工夫・企画提案でも大切な歓談話術などが、1年を通し掲載されています。
同年の国際ウエルディングショーではアークマン鉄骨溶接システム(コア溶接、コア・仕口兼用ロボットシステム)、大電流MX溶接法などが展示されました。翌91(平成3)年には神溶会が40周年をむかえ、新たなる飛躍と結束を誓う記念全国大会が開催されています。
またグローバリゼーションが進む中、神戸製鋼の海外事業が初めて紹介されたのが1990(平成2)年です。以降、海外新拠点の紹介など海外事業に関する出来事の掲載が始まります。
1995(平成7)年に阪神・淡路大震災が発生、建物や道路橋の倒壊が発生しました。翌年1月には橋脚耐震補強工事の推奨施工法(DW-Z100×PICOMAX)の概要が掲載されています(「技術がいど」にて詳細を説明)。
1995年末には、職場環境に配慮した「低ヒューム・低スパッタなクリーンワイヤ“Zシリーズ”(DW-Z100、110、MX-Z100、100S、200)の開発完了に合わせ“Zキャンペーン「3Cの提案」” がスタート。3Cは「Clean(クリーン・職場環境改善)」「Comfortable(快適)」「Costdown(コストダウン)」の3つの頭文字から取り、溶接に求められる課題を解決するこれらの商品の普及をキャンペーンの目的としています。
1997(平成9)年にはZキャンペーン「トルネード“3C~3M”」を実施。鉄骨ロボットの特集を掲載しています。また、1998(平成10)年9月には同年放送のNHK朝の連続ドラマ「やんちゃくれ」への溶接技術指導を取材、掲載しています。
1999(平成11)年5月には創刊400号を迎え、同月、神戸製鋼所東京本社は、現在の品川区大崎ONビルに移転しました。
1989(昭和64/平成元) |
●お先にコンテスト「第1回ザ・クリエイション」開催 昭和天皇崩御、新元号平成消費税スタート(3%) ベルリンの壁崩壊、東欧に自由化 |
1990(平成2) |
●「第2回ザ・クリエイション」開催 |
1991(平成3) |
●神溶会40周年記念全国大会 ●「ザ・クリエイションΣ」開催 湾岸戦争ソビエト連邦崩壊 |
1992(平成4) |
●溶接棒事業部から溶接事業部に改称 |
1995(平成7) |
●Zキャンペーン「3Cの提案」実施 阪神・淡路大震災発生地下鉄サリン事件発生 |
1997(平成9) |
●Zキャンペーン「トルネード“3C~3M”」を実施 消費税5%に |
1998(平成10) |
●NHK 朝の連ドラ「やんちゃくれ」撮影協力 明石海峡大橋開通第18回冬季オリンピック長野大会開催 |
21世紀に入り、2001(平成13)年神溶会50周年記念アルカディア2001キャンペーン「Good Jobコンテスト」を全国展開しました。テーマを「環境への取り組み」とし、“銅めっきレス” SEワイヤシリーズ、“薄板用DWステンレス” DW-Tシリーズを重点商品としています。翌年には「Good Jobキャンペーン」が実施されました。
また2001年11月には「ぼうだより」にて17年間連載した「うちの会社、うちの社員」が最終回をむかえ、神溶会五十周年記念誌として、総集編が作成されました。2002(平成14)年春号にて新キャラバンカーの名称を募集、それぞれ「溶太郎」「溶次郎」と命名され、現在に至っています。2004(平成16)年には初の試みとして、国際ウエルディングショーでの屋外展示・実演が行われています。今年鉄骨溶接ロボットを搭載した「溶子」が誕生したのは、皆様の記憶に新しいと思います。
2004(平成16)年末からは耐棒焼け性など作業性を改良し新しく生まれ変わったステンレス鋼用被覆アーク棒「NCシリーズ」と「Z-44」を重点商品として、「New&New キャンペーン」が実施されました。3,000社を超えるお客さんを訪問、被覆棒の使用状況と神戸製鋼への意見・要望など生の声をお聞きし、商品開発やサービス向上につなげる活動です。なお、同年下期には、現在に続く資格奨励制度「溶接サポーター制度」がスタートし、初年度は167名の溶接サポーターが誕生しています。2006(平成18)年には初の女性サポーターが誕生し、冬号にて合格者喜びの声や苦労話、資格取得後の変化などを語っていただきました。
1999(平成11) |
●溶接事業部から溶接カンパニーへ、販売部から営業部に名称変更 ●大崎へ移転 欧州単一通貨(ユーロ)発足 |
2001(平成13) |
●アルカディア2001キャンペーン「Good Jobコンテスト」実施 ●神溶会50周年記念全国総会 米国同時多発テロ発生 |
2002(平成14) |
●「溶太郎」登場 ●「Good Jobキャンペーン」実施 ユーロ紙幣と硬貨の流通開始 |
2003(平成15) |
●「溶次郎」登場 ●CSC(カスタマーサポートセンター)発足 郵政事業庁が日本郵政公社に |
2004(平成16) |
●溶接サポーター制度導入 ●New&New キャンペーン実施 鳥インフルエンザ発生新札発行(千円札は野口英世、五千円札は樋口一葉) |
2005(平成17) |
●神戸製鋼所創立100周年 日本国際博覧会(愛知) |
2007(平成19)年より年4回発刊、A4サイズとなりました。「溶接レスキュー119番」「よくわかるロボットシステム」の連載が始まっています。ユーザールポでも、溶接ロボットシステムを使用されるユーザさんが紹介されることが多くなってきたようです。同年冬号で今ではおなじみの、3冠商標(FAMILIARC™,TRUSTARC™, PREMIARC™)を発表しています。※
2011(平成23)年3月に東日本大震災が発生、7月より「がんばろう!東北 支え合おう!神溶会」をスローガンに、東北支援キャンペーン「神溶会60周年記念ベストパートナーキャンペーン」を実施しています。全国約2,000名の溶接サポーターの技術営業力を活かし、鉄骨業種をメインとした鉄骨エキスパート資格認定とREAGARC™鉄骨システム及び専用ワイヤ[F]MG-56R(N)や[F]MX-Z200MP、自動車用ソリッドワイヤを重点商品とした活動です。同キャンペーン期間中の売上の一部を、独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構宮城職業訓練支援センター(通称 ポリテクセンター宮城)に災害見舞金として提供、溶接を通じての復旧・復興への一助としてお役立ていただきました。
同年には溶接サポーター制度のフォローアップ企画として「業種別マイスター制度」を春号で発表、第一弾として「鉄骨エキスパート」が同年4月よりスタートしています。その後業種別マイスターは自動車、造船に拡大。本年実施の「Beyond Generationsキャンペーン」に際して、鉄骨溶接ロボットシステムが加わりました。
2007(平成19) |
●誌面がA4版サイズ、年4回発行に変更 |
2008(平成20) |
●新商標導入 リーマン・ショック起こる |
2009(平成21) |
●溶接サポーター手帳を発刊 裁判員制度スタートはやぶさ(探査機)が小惑星イトカワから帰還 |
2010(平成22) |
●溶接カンパニーから溶接事業部門へ |
2011(平成23) |
●鉄骨エキスパート手帳を発刊 ●神溶会60周年記念全国総会 ●「ベストパートナーキャンペーン」実施 東日本大震災発生 |
2012(平成24)年より「技術がいど」とともに、「ぼうだより」もWeb化・一般公開されました。「技術がいど」の記事は2005(平成17)年号から、「ぼうだより」は2012(平成24)年号からのバックナンバーをホームページで公開しております。
2015(平成27)年春号より「ぼうだより」「技術がいど」を合併、神戸製鋼溶接事業部門の刊行誌「ぼうだより 技術がいど」として生まれ変わりました。神溶会、ユーザの皆様に、神戸製鋼や神溶会のニュース、溶接材料・溶接システムの最新技術や商品情報を始め、用語解説・溶接119番、溶接ご法度集など調べものや皆様の困りごとの解決のお役に立つ記事を引き続き紹介しています。
「技術レポート」「用語解説」「溶接110番・119番」「試験・調査報告」「溶接基礎講座」「新・銘柄のおはなし」などの過去の記事は「ライブラリ」にアップされております。調べものなどにお役立ていただければ幸いです。
これからも編集部一同、皆様のお役に立つ誌面作りを心掛けてまいりますので、引き続きのご愛読と、ご指導・ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
2012(平成24) |
●「ぼうだより」Web化 東京スカイツリー開業 |
2013(平成25) |
●自動車エキスパート手帳を発刊 富士山が世界文化遺産に決定 |
2014(平成26) |
●造船エキスパート手帳を発刊 消費税8%に |
2015(平成27) |
●「ぼうだより」「技術がいど」合併創刊し、年4回の発行となる(4月号~) |
2018(平成30) |
●「BEYOND GENERATIONSキャンペーン」実施 ●鉄骨エキスパート手帳 溶接ロボットシステム編を発刊 ●鉄骨溶接ロボットシステム搭載「溶子」登場 ●「ぼうだより」500号発行 築地市場移転 |
※2008年より商標を冠した呼称に切り替えました。 文中の商標を一部下記のように短縮表記しております。 FAMILIARC™→[F] |