ほっとひといき|古都の手仕事を訪ねる ~メイド・イン・キョウトの現在

第8回
「活版印刷xデザインでぬくもりを伝え、心を繋ぐ」


グラフィックデザイン工房 りてん堂

小さな鉛の活字をひとつひとつ手作業で拾っては組み合わせ、組み上げられた版を使って印刷する「活版 印刷」。印刷の仕組みはいたってシンプルで、木版刷りやハンコと同じように凸状の版にインクを付け、紙 を載せて圧力をかけることで転写するという方法だ。

日本に活版印刷が導入されたのは、幕末から明治初頭にかけてのことだという。それまでは、人の手によっ て一文字ずつ書き写されていた書物が、早く大量に複製できるようになり、一般の人々にも印刷物が広まるこ とになった。活版印刷は、まさに時の一大産業として日本の近代化と文明開化の時代を築き、支えてきたのだ。

ところが、1970 年代に入り日本が高度経済成長時代を迎えると、さらなる大量印刷と、細密な線、写真 の色の再現性の高さなどが求められるようになった。活版印刷の職人は跡継ぎもなく高齢化し、町中にいく つもあった活版印刷所は、バタバタと廃業が相次いだ。

京都・一乗寺にあるグラフィックデザイン工房「りてん堂」
活版印刷機「チャンドラー」。
道路に面したショーウインドウからもよく見える。

活版印刷所の廃業に立ち会う

2012年春、とある京都の活版印刷所が廃業の時を迎えた。その際、行き場のない一台の古い印刷機を、一人のグラフィックデザイナーが引き取った。それが、デザイン工房「りてん堂」を主宰する、 村田良平さんだった。

村田さんは、編集・デザイン事務所に勤めるデザイナーだった。主に手掛けたのは、書籍や雑誌などの長い文章を読みやすく、また美しくレイアウトしていくもので、「エディトリアル」と呼ばれる分野のデザインだ。

現代の印刷物は、DTP(Desktop publishing:パソコン上で編集割付などの作業を行うもの)だけで製版が完結する。デザイナーが印刷現場に出向く必要すら、ほとんどないに等しい。だが、村田さん自身は「もともと活版印刷の現場を一度見てみたいとは思っていた」という。

活字を拾い、罫線を並べ、文字間・行間の空きや紙面の余白など、デザインに必要な全ての要素を、職人が実際に手を動かしながら配置していく ――。活版の組版作業は、現在まで続くデザインの歴史の、いわば源流のようなものだ。現代のデザイナーがその工程に興味を持つのも、不思議なことではない。

2011年の秋。村田さんは、自宅の近所にある活版印刷所、加藤第一印刷を取り上げた新聞記事を見つけて、その工場を訪れた。加藤社長は、村田さんを「興味があるなら、時々見に来てもええよ」と快く迎え入れてくれたそうだ。村田さんはその言葉に甘えて、会社が休みの土曜になると加藤社長のもとに通うようになった。

加藤社長は、この時点でもう80歳を超えていた。 工場経営も年々、厳しさを増していたことだろう。「もう辞めようかと思っている」、そう打ち明けられたのは、村田さんが加藤第一印刷に通い始めて、まだひと月も経たない頃だった。

2012年の4月には、工場を空にして明け渡さねばならない。そこで問題となったのが、加藤第一印刷の所有する3台のハイデルベルク社製印刷機と、大量の活字の行き先だ。

活版印刷の活字は、職人が文字を刻み込んだ母型と呼ばれる型に、鉛を主とする金属を流し込んで鋳造されるものだ。しかし、これを鋳造できるところも、今ではほとんどなくなってしまった。

貴重な印刷機と活字の数々が、行き場を無くして全て捨てられてしまう。単に、印刷機と活字の買い手が見つかれば済むという問題ではない。このままでは、加藤第一印刷が築き上げてきた活版印刷の技術を含め、全てが失われてしまうのだ。

どうにか残す方法はないのか。村田さんは、加藤第一印刷さんに縁のあった人々の元へ、何度も相談に赴いた。だが、突破口を見いだせないまま日々だけが過ぎていった。

もう、迷っているだけの時間はない。村田さんは、心を決めた。

ハイデルベルク社製の印刷機のイラスト。実はいわゆる「逆版」と呼ばれるもので、紙裏から透かして見るほうが正しい絵柄になる。本来、逆向きに版をつくることはほとんどないが、村田さんが、印刷機の絵柄を逆版で使ってみたいと加藤社長に相談した際に、加藤社長が偶然、所有していた逆向きの版を貸して下さったそう。
ひらがな、カタカナ、漢字に加えて、同じ文字でも字体(書体)や号数(サイズ)が異なるものが必要で、日本語の活字は実に多種多様だ。
活字を拾って版に組み込んでいく、「組版」作業の様子。
挨拶状の文面の活字を一行分、拾って並べたところ。行間には木製の「インテル」を入れて空き具合を調節していく。
村田さんの名刺の版。文字間には金属製の「コミ」を入れて、空きを調節する。DTPと違って、余白や文字間の空きも全て、意識的に組版する必要がある。
実際に刷り上がった名刺はこちら。厚みのある紙に版を押し当てて印刷するため、印字の辺縁部分がわずかに窪んで、立体感のある仕上がりになる。

大切に、手元に残しておきたい印刷物を

「印刷機も活字も、自分が引き受けたいと加藤さんに伝えました。でも、じっくり慎重に考えるだけの時間があったら、かえって踏み切れなかったかもしれませんね。デザインをしていた妻に相談したら、反対するどころか背中を押してくれたのも大きかった」と、村田さんは笑う。

会社を辞めた村田さんは、慌ただしく自らのデザイン事務所を立ち上げた。ところがここで、想定外のアクシデントが起こる。引き取るはずだったハイデルベルク社の印刷機を、とある業者が3台まとめて買い取りたいと申し出てきたのだ。

そこで村田さんは、加藤社長の自宅にあった、もう1台の別の活版印刷機「チャンドラー」を譲り受けることになった。アメリカでは、100年以上も前からChandler & Price社が製造していたモデルと同じタイプの印刷機だ。ただし、少なくとも50年以上前の機械で、動力は数年以上も切りっぱなし。いつから動かしていないのか、そもそもまともに動くのかどうかさえ、さっぱり分からない状態だったという。

村田さんは、事務所内でも表通りから最もよく見える位置にチャンドラーを運び込んだ。事務所の立ち上げにあたって選んだ事務所物件には、大きなガラスのショーウインドウがあったのだ。

チャンドラーは、手差し式の印刷機。印刷用紙を右手で一枚ずつ差し込み、左手はレバーを操作して印刷する。印刷の作業中は、職人が付きっ切りで機械の面倒を見てやらねばならない。

手間がかかるのは、機械の操作だけではない。インクの配合や練り具合は、その日の天気や湿度によっても微妙に異なる。活字自体も印刷を繰り返せば摩耗していき、日々、印刷の具合は変化する。いつもと同じように印刷しているはずが、一部分だけが濃くなったり、薄くなってかすれたり……。

奮戦する村田さんの姿を窓越しに見て、道行く人が珍しげに足を止めるようになった。機械を見せてほしいと事務所を訪れる人も、後を絶たなかった。近所のカフェやギャラリーの店主たちが、また通りがかった作家や歌手が、あるいは村田さんの奥様のお付き合い関係からも、ショップカードや挨拶状などの注文が舞い込んだ。

「今後はますます電子化が進み、紙で印刷物を作るようなニーズは確実に減っていきます。でも、人には、捨てずに大切に取っておくような印刷物ってあるでしょう?パソコンひとつで何でも簡単に作れてしまう現代だからこそ、たとえ少部数でも時間と手間をかけてつくる特別なもの――、たとえば活版印刷のようなものに、人の志向も回帰していくように思うんです」

紙を置く部分と版を置いた部分が、二枚貝のような格好で開いては閉じる動作を繰り返す。この位置に手差しで次々と用紙を差し込むことによって、連続印刷していく。
チャンドラーの側面には「中馬鐵工所」の文字と型番が。日本製のチャンドラー印刷機は珍しいが、いつごろ、また何台ほど製造されたものか、詳細は分からない。
わずかな印圧を調節するために、活字1文字分の大きさに切りぬいた薄紙を版の裏側に挟み込むことも。
こちらは罫線の棚。太さや飾り罫など、罫線だけでも多種多様。
活版印刷機が入る以前のひらがなといえば、いわゆる手書きの「草書体」。真四角の枠にきちんと収まるように整えられた「楷書体」は、主に、活版印刷以降の時代の文字である。
活版印刷の最盛期には、活字を拾う職人、版を作る職人、印刷する職人、そして版を解く職人がそれぞれ分業していたそうだ。

デザイナー視点で見えてきた「活版の可能性」

「当初から、活版印刷を使って何をしたいというような、具体的なイメージがあったわけではありません。でも、いざ活版印刷機を抱えて開業してみると、自分のデザインの仕事も、日々、大きく影響を受けていると感じます」

たとえば、近年作られた新しい書体の場合、文字組みを縦書きにしても横書きにしても、どちらにでも使える汎用性の高いものが多い。その上、少々のバランスはDTP上で簡単に調節できるから、さして問題にはならない。

一方、活字は、日本語本来の縦書きを基本として作られてきた経緯から、手書きの文字の美しさを保っている。ただし、正方形の枠を基準としているため、文字間を詰める、少し位置をずらすというだけのことも簡単ではない。

DTPでは、ただ数値を入力すれば一瞬で調整できた諸々のこと、小さなことだとたいして気にも留めずに流していたことが、俄然、存在感を持ち始めたのだ。

不自由と制約が増え、気がかりが増す。だが、村田さんにとってのそれは、デザインの隅々にまで目が届き、仕事の精度が上がるということでもあった。

「独立以来、今まで経験しなかった数の名刺やカードを作ってきましたが、今になって思うと、DTPでは、ここまでの数のアイデアは生まれなかったかもしれません。どうしてなんでしょうね。少々厳しい制約があるくらいの方が、仕事が面白くなるというのは」

近年、活版印刷は一部のレトロブームに乗って「ひとつずつ風合いの異なる刷り上がりがいい」、「紙の凹凸に味わいがある」と、もてはやされる向きもある。だが、かつての活版印刷の職人たちにとっては、むしろ「ムラやカスレなどの印刷品質に差を出さず、また極力紙を凹ませないように刷る」ことが本来の仕事であり、腕の見せ所だったことも事実だ。

「加藤さんは、機械や道具をものすごく大切にされる方で、仕事も驚くほど丁寧です。僕が工場に通っていた頃も“キレイにせなあかん”って、毎日のように言われていたものです。僕は、職人として修業したわけではありませんけど、そういう加藤さんの職人らしい仕事ぶりを心から尊敬しています」

村田さんは、まるで昔気質の職人のごとく「適切な」印圧で、「あたりまえの」印刷を重んじる。あたりまえのことを、大切に、丁寧にこなすこと。その仕事の価値と尊さを、傍らで見て、身に染みて知ることができたからだ。

村田さんのチャンドラーは、他でもない加藤社長から譲り受けた機械だ。その心まで、大切に受け取って引き継いでいきたい。

「今、活版に求められている仕上がりの凹凸感やカスレも、デザインの表現として使うことはあります。しかし、それだけが活版印刷の魅力ではありません。活字の持つ繊細な美しさと力強さが、人から人へと想いを伝えていく。僕は、その可能性を信じています」

誰かの心に残るような刷り物を、ひとつも手を抜かず丁寧に作りたい。村田さんのそんな想いの先に、活版印刷の可能性が拓けていく。

村田さんの真摯な仕事は、きっと誰かの胸の内に刻まれ残り続けるだろう。加藤社長の仕事が、かつて村田さんの心を揺り動かしたのと同じように。

(文:石田 祥子)

京都生まれのグラフィックデザイナー・村田さん。印刷屋ではなく、デザイナーを本業とする彼がチャンドラーを引き受けることになったのも、不思議な巡り合わせだ。
オリジナルデザインのポストカードや一筆箋も販売。活字を組み合わせてつくられたデザインだ。
CDのノベルティとして制作したポストカード。歌詞から力のある言葉を拾って、活字に落とし込む。
りてん堂のパンフレットとショップカード。

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