昨年開催された、第67回 全国溶接技術競技会(以下、全国大会)に、コベルコ溶接テクノ株式会社より伊藤文孝氏と古家駿氏が、ダブル出場の快挙を果たしました。
なんと、両名の溶接技術指導をされている、金子和之マイスター(1995年出場、優秀賞)以来の、全国大会出場です。大舞台を終えられたお二人に、お話を伺いました。
【開催概要】
日時:2022年9月25日(日)
場所:青森県立青森工業高等学校
競技種目は「被覆アーク溶接の部」および「炭酸ガスアーク溶接の部」の2種目。各位都道府県代表の112選手が、溶接日本一を目指して、熱戦を繰り広げました。
競技種目:被覆アーク溶接(以下、手溶接)の部:伊藤 文孝
炭酸ガスアーク溶接(以下、半自動溶接)の部:古家 駿
被覆アーク溶接の部 準優勝:伊藤 文孝/炭酸ガスアーク溶接の部 準優勝:古家 駿
◆ 溶接はいつ頃から始めましたか。
伊藤:高校の時にはほとんど、溶接をした記憶がありません。ガス溶接を少しやりましたが、旋盤加工などが中心でしたので、入社してから本格的に溶接に携わりました。
古家:高校時代に、教師から「高校生溶接コンクールに出場してみないか」と声をかけられ、それがきっかけで溶接を始めました。当時、神奈川県大会で3位に入賞した経験があります。
◆ 入社して最初に溶接をやってみてどうでしたか。
伊藤:明らかに先輩より下手なのはわかるが、なぜ、上手く溶接ができないかわからない状況が続き、ひたすら反復練習を行っていました。少し溶接が上達したかなと思えるようになったのは、1年ぐらいたってからです。周りの役に立ちたい一心で、一生懸命取り組みました。その結果、徐々に仕事を貰えるようになり、少しずつ自信がついてきたことを覚えています。
古家:高校生コンクールに出場し、溶接に携わっておいたことが、良い経験となりました。誰でもそうだと思いますが、はじめは凄い火花で熱く、火傷しそうで少し怖かったのですが、練習すればするほど、上達していく面白さがありました。工業高校には、ほとんど半自動溶接がなく、被覆アーク溶接が主流なので、社会人になってから、半自動溶接を始めました。
◆ 入社のきっかけや、最初のお仕事を教えてください。
古家:高校生コンクールで溶接の魅力を知って、溶接に関わる仕事をしたいと思い、入社しました。
伊藤:仕事として溶接をやってみたいと漠然と思った記憶があります。入社して10年ぐらいは溶接開発班で自動機や半自動に携わり、ヒューム量やスパッタ量などの基礎的なデータを測定し、データを作成していました。
◆ アーク溶接に最初に携わった銘柄は。
伊藤:[F] MG-50か[F] DW-100でビードオンプレート(平板)から始めました。最初はかなり難しかったです。
古家:高校生当時、高校生コンクールに出場するため、[F] B-10、[F] B-14、[F] B-17の3種類から[F] B-14を選んで溶接したのが最初でした。また、入社してから最初に溶接したのは、[F] DW-Z100と[F] MG-50で、ビードオンプレート(平板)でした。
◆ 神奈川県溶接技術コンクール(以下、神奈川県大会)についてお聞かせください。
伊藤:「大会に出てみないか」と、金子マイスターから声をかけていただき、神奈川県大会に向けて、手溶接を始めることになりました。初年度に自分の力量・位置を確認し、2年目に本腰をいれて頑張ろうというつもりでしたが、大会後「準優勝」という結果を聞き驚くとともに「たまたまいっちゃったな」という複雑な感情でした。
古家:半自動溶接での神奈川県大会出場は3回目で、1、2回目は力が発揮できず、非常に悔しい思いをしました。3度目の正直ではないですが、曲げ試験やX線を重視して練習に取り組み、ようやく3年目に花が開いた感じでとても嬉しかったです。
◆ 毎日、溶接をしないと感覚は鈍りますか。
伊藤:やはり何日も触らないと、まったく違ったものになってしまいます。逆に何をやってもダメになることもあり、その時は溶接ではないガス切断をしたり、少し間を空けていました。基本的には、毎日1時間でも溶接を行わないと鈍ってしまいます。
古家:私も同じで、溶接に何日も携わらなければ、感覚が鈍り、うまくいっていた時のようには溶接ができません。極力、毎日溶接ができるように取り組んできました。
◆ 毎日溶接をやって飽きてしまいませんか。
伊藤:現場の方にはそう聞かれたこともありますが、まったく飽きることも嫌になることもありませんでした。ただ、金子マイスターからは「線引きをしないと深みにはまってしまうこともあるよ」と言われました。
古家:基本的に毎回、溶接をするたびに、次回はこうしようと改善点や課題が出てきたので、飽きることはなかったです。
◆ 晴れて神奈川県代表になられ、全国大会に向けて、どのような練習をされましたか。
伊藤:中身重視(曲げ試験やX線)で神奈川県大会に臨みましたので、全国も同じく外観より中身重視。最終的に、外観を整えていく感じで臨みました。
古家:神奈川県大会よりさらにビード外観を整え、特に曲げ試験のアベレージを向上させるために反復練習を行い、普段通りで臨めるように、本番に近い環境で練習を行いました。
◆ 全国大会はどうでしたか。
伊藤:全然緊張しないと言ったらうそになりますが、全国は普段の自分に近い状態で出られました。100%の力が出せたかと言われると疑問ですが、神奈川県大会より全国大会の方が、会場の雰囲気は良かったです。
古家:悔いが残る結果でありましたが、全国の方々と競い合えたというのは、非常に良い経験ができました。
◆ 自身の結果をご覧になって、感想は?
伊藤::外観は自分が、思っていたより点数を貰えました。中身重視で練習してきたので、多少自信をもっていましたが、中身で結果が悪かったのがショックでした。しかし、神奈川県大会の結果をもってしても入賞は難しかったと思います。
古家:少し緊張した結果が、曲げ試験に影響しました。曲げ試験対策に力を入れてきたのでショックでした。
◆ 溶接の楽しさと難しさとは。
古家:始めはうまくいかなかったことが、練習を繰り返すことでビードが真っすぐに引け、上達していく様が、ビード外観に現れるところです。
伊藤:溶接の楽しさは上達に限界がなく、一つのものを作るのに、何百通りのやり方があり、一つのやり方だけではないことだと思います。試行錯誤を重ねるうちに上達するなら、それも楽しさであり、難しさです。
◆ これから溶接にどう向き合っていかれますか。
伊藤:材料選定や施工のアドバイスを行うのが仕事ですので、自分が溶接できるだけではいけません。どのように伝えれば、お客様自身が溶接できるようになるのか。さまざまな技術の引き出しを持ち、いかに人に伝えていくのか、そういうことを考えながら仕事に向き合っていきたいと思います。
古家:今後、被覆アーク溶接部門と半自動溶接部門の2部門での全国大会出場を目指し、溶接技術を高めていきたいと思っています。先輩方の溶接技術を吸収し、練習を重ねてまいります。
最後に ◆ 溶接はセンスと努力の2択だったら…。
努力です!!(お二人とも)
※金子マイスターも…。
※文中の商標を下記のように短縮表記しております。 FAMILIARC™→ [F] |
Q:神奈川県大会の結果について…
当社から全国大会へ出場してほしいと何年間も思い続けていたので、大変喜ばしい出来事でした。しかも、まさかCSGから二人同時に出場を果たせるとは、夢にも思わなかったです。しかし、20数年間全国大会出場の機会がなく、私が退職するまでには無理かなと諦めかけていたので、感無量です。
溶接指導に長らく携わっていますと、時々インスピレーションが湧くことがあります。今回も何の根拠もありませんが、伊藤君の溶接ビードを初めて見たときに「コイツ、行けるかもしれない!」と感じました。コンクールは、人によって合う合わないもありますが、のめり込める人やリベンジを果たしたいという気持ちが強い人は、コンクールに向いているかと思います。逆に、極度に緊張してしまう人やもう恥はかきたくないと思う人は、難しいですかね。
Q:全国大会に向けてのアドバイス。
本番前の一定期間、練習を続けていると波が来ます。ビード外観が良くても、X線・曲げ試験がダメな時があります(本番では、ビード継ぎや割れが発生しやすい課題が与えられている)。同じことをやっていても、結果がかけ離れてくる時が…ちょっとしたことが違うだけなのですが、本人にはそれが判らない。それを一人で悶々と抱え込むと底なし沼にハマりますので、第三者が客観的に観てアドバイスする機会が必要だと思います。
コンクールで頂点に立てたとしても、必ずしも100%満足した実感が得られるかと言えば、そうではないように思います。絶対どこかに、何かしらの課題が残る気がします。神奈川県大会で2位に入賞したものの、彼らが自分自身で気づき修正したいと感じた部分を直せるよう、コーチしました。
Q:マイスターからお二人へ。
ファブリケータに在籍していると、溶接する鋼材の材質が限定されますが、溶材メーカではハイテン材やステンレス材のほか、さまざまな材質の鋼材を溶接することができます。より多くの材質の施工体験をして、どのように施工すれば性能がでるかなどを考え、より高い溶接技術を習得して再度コンクールに出場し、全国制覇に向けて挑戦していただきたいです。コンクールに何度か出場していると他の会社の出場者との交流ができ、人生の上でも大変プラスになるので、これからも積極的に出場してほしいと思っています。