自然界は「油」原料の宝庫だ。古代から、私たちは植物の恵みを受け取っては油を搾り、さまざまに利用してきた。京都府乙訓郡の離宮八幡宮境内には、「本邦製油發祥地」と記された碑があるという。曰く「平安時代の初め、神主が『長木(ながき)』という道具で荏胡麻(えごま)の油を搾り、灯油に用いた。これが我が国製油の始まりとされている」。
土器のうつわに油を注ぎ、麻などの芯材に吸わせて神前に火を灯す。こうして使われる燈明油は、古代日本ではきわめて貴重なものだった。植物油の利用は、油と灯火を神に捧げる祭祀からはじまったのだ。
植物油の原材料は多種多様である。大豆、荏胡麻(えごま)、ひまわり、綿花、落花生に紅花といった多くの植物種子から油を得ることができるし、トウモロコシの胚芽から作られるコーン油、オイルパームの果肉から作られるパーム油などもある。また、米ぬかから製造されるこめ油は、ほかの油と比較すると国産原料の使用率が高い。
用途は食用ばかりではない。たとえば日本では、古くから荏胡麻油や亜麻仁油が丈夫な塗膜をつくり、艶を出すとして建材や工芸用の塗料に用いられてきた。ほかにも髪油として長い歴史を持つ椿油を筆頭に、化粧品用途にも各種植物油の人気は高い。また近年、大豆油や菜種油などに由来するバイオディーゼル燃料は、軽油とほぼ同等の性能を持つ代替燃料になり得るとして活用が進んでいる。
このように、植物油の品種も用途も挙げはじめればきりがない。だが、ここでは私たちの日々の食卓に上るような、ごく身近な植物油の原料について紹介してみよう。
菜種とは、アブラナの種子のこと。2019 ~20年の植物油においてパーム油、大豆油に次いで世界3番目の生産量を誇り、特に日本国内においては、食用油の全生産量のうち6割を占める人気品種だ。日本では野菜として、また油を採取するために古くから栽培されてきた作物だが、現在では、原料の大部分を海外栽培の「キャノーラ種」に依存している。
食用油の原料となるのは、主に白胡麻だ。胡麻油を得るには生の胡麻を搾る方法と、胡麻を焙煎してから搾る方法があり、焙煎が深いほど油の香りは強く、濃い色になる。現在、原料のほとんどは海外で生産されており、日本国内での消費量のうち、国産胡麻の収穫量が占める割合は0.1%にも満たない。
オリーブの主な生産地は、スペイン・イタリアをはじめとする地中海諸国だ。オリーブの果肉に含まれる油分は収穫直後から酸化が始まるため、収穫後はすばやく搾油せねばならない。日本でも各銘柄のオリーブオイルを輸入するだけでなく、近年では国内生産が活発化している。香川県小豆島とその近辺をはじめ、今では、全国各地で栽培と搾油が盛んに行われている。
京都にある山中油店の創業は江戸時代後期、文政年間。このころの油商人らは郊外の製造地から菜種油を仕入れては燈明油として市中に運び、販売していた。
当時、江戸では天ぷら屋台が流行ったというが、小さな商家や職人たちなどが暮らす京都の下町では食事も質素だったようだ。明治の頃になると、菜種油の燈明が石油ランプやガス灯へと置き替わる一方で、ようやく京都にもたくさんの食用油を使う洋食文化が広がっていった。山中油店に残る台帳を紐解くと、京都では明治後期~大正期にかけて、燈明油に代わり食用油の需要が大きく伸びたことが見て取れるという。
油の商いは、多くの受難も乗り越えてきた。たとえば昭和10年代には、戦中の物資不足から油の配給制が敷かれた時代があった。また1973年、第一次オイルショックの打撃は大きく、このころ、個人経営の油専門店の多くが廃業を余儀なくされたという。山中油店の台帳に脈々と記され続けた販売履歴は、日本人の食習慣と生活が大きく変化した激動の時代の記録でもあるのだ。
原料から油を得る方法は、大別して2種類ある。現代において一般的なのは「抽出法」といって、ヘキサンなどの溶剤を用いて原料に含まれる油脂を取り出す方法だ。そして、もうひとつの手法が「圧搾法」。文字通り、油分の多い原料を押しつぶすように搾って油を得る、昔ながらの方法である。手間も時間もかかる上に得られる油の量も少ないが、栄養、色、風味を損なわず、素材由来の個性豊かな油ができあがる。
山中油店の「国産なたね油」も、この圧搾法でつくられた油だ。材料の菜種を窯に入れて薪木で火を入れ、かき混ぜながらムラなく均一に焙煎する。焙煎した菜種を搾り機に少量ずつ投入すると、輝くような琥珀色の油が機械の下に搾り出されて溜まっていく。溜まった油は3日間ほど置いて不純物を取り除き、上澄みだけを取り出して加熱殺菌する。最後にろ紙で漉して、タンク内で1週間ほど寝かせたものを瓶に詰める。
仕上がった油は香り豊かで、口に含むとわずかにナッツ類のような香ばしい後味が残るが、後を引かず爽やかに消えていく。「菜種油って、こんなにしっかりと味がするの?」と驚くお客さんも多いという。この個性の強さこそが、本来の菜種素材の持ち味であり、圧搾でつくる油の面白さだ。
だが、令和元年の日本への菜種輸入量は年間2,359,000t(財務省「貿易統計」より)に対し、国内で生産される菜種の収穫量は、わずかに年間約3,580t(令和2年産、農林水産省統計部「作物統計」より)。気候条件や病害虫によって収穫量が不安定になることもままある。毎年、一定量の国産原料を確保することだけでも容易ではない。
現代、私たちが生活する場所のそばには菜の花畑も搾油の作業場も無く、昔ながらの作り手の姿はひどく見えづらくなってしまった。それでもひと瓶の油というものは、昔も今も変わらず大地から生まれた農産物由来のものであり、製油職人らの手間暇と技術の産物なのである。
山中油店が取り扱う油は、食用油のほかに建築・工芸用の塗装用油、髪や手肌の手入れに使う化粧油など、取り扱い品目およそ50種類にも及ぶ。
「私たちは、産地の国内外を問わず、生産現地まで足を運んで独自に買い付けをします。産地の人々の懸命な仕事ぶりをお客様に申し伝えることができるのは、商人しかいないからです。お客様には、各々の油の個性を楽しんで選んでいただければ嬉しいですね」。
そう語るのは、専務取締役の浅原さん。近年は、オメガ3脂肪酸やビタミンEなど、良質な油脂成分の話題がTV番組などで注目を集めて「油ブーム」が起きているが、良い油は依然、希少品のままだ。
国産品に限らず、オリーブオイルのような輸入品についても品薄事情に大差はない。特にヨーロッパでは、現在、バイオディーゼル燃料用途などで需要が大きく増えており、油の価格が高騰している。そのうえ不安定な国際情勢の影響を受けて、輸送コストも上昇するばかりだ。
「お客様に十分な品物をお届けできないのは心苦しいことです。でも、産地の方々がすでに精一杯やってくださっている姿も知っていますから」。産地とお客様の間を繋ぐ立場ゆえに、浅原さんには品薄の状況に対して複雑な葛藤があるという。
「説明を尽くしてご理解をお願いしていくしかないんです。難しい局面こそ、お会いして、現場を見て、お互いに信頼関係で繋がっていることはとても大切です。生産者さんと私たちもそうですし、お客様と私たちも同じ。こうした関係作りが、私たちの商いの根本にあります」。浅原さんが語る言葉には、いつも、商いの相手に対する深い尊敬が滲む。
江戸時代の創業から、実に200年間を見つめ続けた目利きの油商人。そのまなざしは、時を経ても変わらないものを知っている。