聖徳太子が制定した冠位十二階においては、位に応じて染め分けられた絹を冠に縫い付けて地位を示したという。「紫、青、赤、黄、白、黒」を基本に、各色の濃淡でさらに分けて12色。各色の制定の理由には諸説あるが、染めの技術という観点から見ると「染料の入手がむずかしく、染めに手間がかかる色ほど高位」という見方もできるようだ。
日本に化学染料が輸入され始めた時期は、おおよそ明治初頭頃といわれる。化学染料が瞬く間に普及した、その裏側で、天然染料による染色の知識と技術の多くは失われてしまった。日本古代の染色の中には、いまだ、現在の技術で再現・復元できない幻の色が存在しているという。
「藍」
深い青色を染めるために世界中で使われている、藍。刈り取った藍は、生の葉を刻んで天日乾燥し、水を打っては切り返して発酵させると青黒い「すくも」に変化する。「すくも」に木灰、石灰などを加えて泥状になったものを藍甕に移し、「醗酵建て」を行ったものが藍の染液だ。染液はアルカリ性で、液中に布や糸を浸して引き上げると、空気中の酸素に触れることで酸化し、引き上げた布や糸が青く発色する。
藍の染液は、たとえ染色に使わなくても毎日攪拌して管理しなければならない。色素を使いすぎないように一日の使用量を制限する必要があるし、それでも、染液を使用できるのは約3週間。藍染めの工程管理は非常に繊細かつシビアで、藍を扱う染め師は、毎朝欠かさず甕をのぞき、染液の調子を見極めることから一日を始めるという。
「紅花」
紅花は、花弁を使用する天然染料だ。夏に咲いた花を摘み取り、花弁以外の部分を除いて乾燥させ、冬まで保存する。オレンジ色の紅花には赤と黄の色素が含まれており、何度も何度も丹念に水洗いして黄色の色素を除去した後、藁灰などを混ぜたアルカリ性の溶液で花弁を揉み出しながら赤色の染液を作る。この染液の中に酸性溶液を加え、糸や布を浸すと、色素が繊維の上に定着して染まるという仕組みだ。
何度も重ねて染めることで、紅花のピンクは赤から深紅へと色合いを深めていくが、色を重ねて濃い色を染めるには、大量の染料が必要だ。これは特に、花弁だけを染料に使う紅花では顕著な傾向で、たとえばA4程度のサイズの和紙を一枚染めるのに必要な染料の量は、乾燥した紅花の花弁1kgほど。その、たった1kgのために、途方もなく大量の花株が必要になることは想像に難くない。これがどれほど贅沢なことなのかもわかるというものだ。
染料を煮出して染液を作り、糸や布を染液に浸して色素を移すという染めの大まかな手順自体は、実は天然染料と化学染料でそう大きく異なるわけではない。ただ、天然染料の場合は紅花や藍など一部の種類を除いて「媒染」という手順が必要になる。布や糸と染料が結び付きやすくなるよう、染色作業の前に、糸や布に媒染材を付着させておくのだ。
たとえば、コチニールという天然染料はカイガラムシという昆虫の雌が出す赤色色素だが、これを鉄媒染すると、紫がかったような沈んだ鼠色になる。アルミ媒染の場合は、鮮やかなピンク色。あるいは、鉄媒染とアルミ媒染の2種類を加減しながら、紫を染めるということも可能だという。決して「コチニールといえば赤」ではない。染料と媒染の組合わせによって、また手技による濃さの加減によって、非常に幅広く豊かな色彩表現が実現する。
古くから伝わる染めの技法の中には、たとえば「灰で媒染する」「泥で染める」といったものが数多くある。古来の技法の種を明かせば、これらは、灰や泥に含まれる金属成分を媒染材として利用していたということになるわけだ。
絹糸は、生糸の状態では艶のないマットな白色をしている。酵素を加えた溶液で生糸を煮ると、生糸の表面を覆うニカワ質のセリシンが取り除かれる。この工程を「精錬」といい、精練後の糸をよく水洗いすると、絹糸特有の柔らかい手触りと美しい艶が生まれる。
精練された糸は、染めの色見本に合わせながら染めあげる。化学染料の場合は90℃以上、天然染料の場合は染料の種類に合わせた温度に染液を調整し、糸を染液の中で揺り動かしながら染色する。
糸が濡れているときと乾いている時では色味が異なるため、染色を終えた糸はよく乾かしてから色合わせをする。太陽光の下と、蛍光灯の下でも当然色味は異なって見えるため、発注者からは、どちらで色合わせをするようにと細かい要望があることも。色合わせの結果、濃さや色味が足りなければ、染液を調整して再び染液の釜の中へと糸を戻す。色が合うまで、この工程を何度でも繰り返すのだ。
京都市西陣地区にある宏和染工所に、立ち並ぶ染料の缶はざっと20種類程度。日常的には化学染料による糸染めを行うが、注文によっては天然染料を取扱うこともある。取扱う量も、極小ロットから大量までと幅広い。西陣織の帯などは、織りの柄によって必要な色と量が異なるため、その時、そのデザインに必要な糸を確保する必要があるからだ。
西陣の染屋では、「勘染め」という言葉があるという。つまりは色見本と引き合わせながら、目で見て色合いを合わせていく作業のことだ。宏和染工所が常時所持している染料の数は、およそ20種類程度。この中から3 ~ 4色程度をかけ合わせて釜に加え、染液を作る。同じ赤でも青みの赤、黄みの赤、明るい赤に沈んだ赤、濁った赤といった具合に、染料の調合によって無数の可能性がある。
レシピはなく、その都度、色見本を参照しながら新規の染液を作ることになる。完全に同じ配合の染液を二度は作れない。また、たとえ同じ染液を使って染めたものでも、数量が異なるだけで色合いは変わってくる。その日の気候によっても違いが出る。こうなると、レシピとして数値化することはほぼ不可能に近く、染料のかけ合わせは、職人の勘と経験による部分がほぼすべてといっていい。「勘染め」のできる染め職人は、その手技と目によって、西陣織の美麗な色彩面の魅力を下支えしてきたのだ。
大学卒業後は、まず愛媛県の西予市野村シルク博物館に職を得た。蚕を飼うところから始まって、糸繰をし、それを織って着物をつくるところまでの全工程を、一通り学びたかったからだ。
2年間の修業期間を終えて京都に戻ると、宇野さんは、天然染料による染めを担う老舗工房「染司よしおか」に迎え入れられた。「よしおか」で主に担当したのは、紅花による染め和紙。東大寺のお水取りで捧げられる、椿の造り花の材料となる。作り花の花弁となる和紙は、紅花の染液から「泥(でい)」と呼ばれる色素成分を取り出し、これを刷毛で塗り重ねることで染めていく。
「私が大学を卒業した頃は、就職難の真っただ中でした。そんな時勢の中でも、丁寧に絹糸の扱いから学ばせてもらって、伝統的な天然染料の染めの仕事にも携わることができた。若手時代に、職人としてこれ以上ない経験をさせていただきました」と、宇野さんは振り返る。
現在の宇野さんは、祖父が創業し、父が事業を継いだ宏和染工所の3代目として戻って数年を経た。しかし、日々の仕事は滞りなくこなせるようになっても、まだまだ道は半ばだ。お客様の手元に糸を届ける際には、いまだに独特の緊張感がある。色合いを褒められ気に入っていただけたとしても、まずは喜びよりもホッとする気持ちのほうが先に立つ。
「職人は、仕上がったものがすべてです。父からもっと仕事を任されるように、ひいてはお客様に信頼されるように、技術を磨きたい」。その道の先を、宇野さんは見つめ続ける。