吉野川中流域に面した脇町南町通りは舟運の利用に適した位置にあり、阿波特産の藍の集散地として繁栄しました。阿波藍で隆盛を極めた脇町には多くの藍商人が集まり、町を形づくるようになりました。藍商人は重厚で堅牢な土蔵造りの家屋を建て、二階の屋根の両端には「卯」字形にはりだした漆喰塗の「うだつ(卯建)」を上げました。当初防火の目的で造られた「うだつ」ですが、装飾を施し立派になるにつれ設置費用も高額となり、次第に富や成功の象徴となっていきました。現在脇町南町通りには、明治時代のものを中心に江戸中期から昭和初期の85棟の伝統的建造物が東西400mの通りに建ち並んでいます。