日本の素材百科
第9回

茶葉と日本茶

「さて、一服しよう」。一日の始まりに、外から帰って一息つくのに、集中を要する作業の合間に……、日常生活のあらゆる場面で、私たちが頻繁に口にするフレーズだ。

お茶を「一杯」ではなく「一服」と表現するのは、中国から日本へ茶が伝わった当初、お茶は効能のある“薬”だったからだ。また日本茶は、茶道に代表されるように「もてなしと親交のツール」として用いられながら発展してきた背景も併せ持つ。日本茶は、変わりゆく日本社会や人々の交流のあり方に寄り添いながら、私たちの身体と心を癒す素材として、長い歴史を刻んできたのだ。

「茶」―1本のチャの木から、多種多様の茶葉へ

チャの木

茶は、奈良~平安時代に遣唐使や留学僧らの手によってたびたび日本へ持ち込まれた。鎌倉時代には、日本の臨済宗開祖である栄西禅師が宋へ渡った際、茶の種を日本に持ち帰ったと言われている。1191年、佐賀県にある霊仙寺内の庭に種を蒔いたとの記述も残っており、これが、記録に残る限りで国内最初の茶栽培といえそうだ。

チャの木はツバキ科ツバキ属の常緑樹で、大きく分けて中国種とアッサム種の2種類に分かれる。日本で栽培されている木の多くは、日本茶向きの中国種。一方、スリランカやインドで多く栽培されているアッサム種からは、主に紅茶がつくられる。

現代では、日本茶向けのチャの木は、やぶきた、さえみどり、おくみどりなど、品種も枝分かれして多様だ。特に玉露と碾茶は被覆栽培という方法で茶園を覆って育てられるなど、茶葉の育成手法も他とは異なる。

とはいえ、緑茶も紅茶もウーロン茶も、同じチャの木の葉には違いない。日本では、明治時代からアッサム種と在来種(中国種)の交配も度々試みられており「べにほまれ」「べにふうき」など、国内栽培に適した紅茶向き品種も栽培されている。

例年、早いところでは4月の初旬から新茶摘みが始まり、期間を置いて二番茶、三番茶まで順に摘み取る。一番茶がその年の最良品質で、回を重ねるたびに品質は低くなる。また、秋には来年の茶摘みに備えて枝葉を切り揃えるが、このとき刈り取られた葉は、番茶へと姿を変える。



なじみ深い味わい「煎茶」の製造

一口に日本茶と言っても、各々の茶は、製造方法も味わいも多種多様だ。しかし、私たち日本人に最もなじみの深い“毎日のお茶”といえば、やはり「煎茶」ではないだろうか。煎茶は、日本茶の国内生産量のうち約8割を占めるともいわれる。その加工工程を追ってみよう。

煎茶を含む緑茶は、不発酵茶に分類される。だが、摘み取ったばかりの生の葉はその後も呼吸を続け、発酵が進み、時間を経るたびに品質が下がってしまう。まずは生の葉を高温で蒸して酸化酵素を失活させ、乾燥させる作業を急がねばならない。

摘み取られた葉は、そのまま生産農家や共同工場の設備に運び込まれ、蒸気で蒸したあと複数回に分けて揉み、高温で乾燥させて針状に整形される。これが「荒茶」と呼ばれるものだ。生の葉には80%ほどの水分が含まれているが、荒茶の段階で水分含有量は5%ほどになるという。

加工の続きは、荒茶を買い取った茶問屋や仕上茶製造工場に引き継がれる。荒茶に混じった古葉や硬葉、木茎、粉などを取り除き、再び乾燥させ、葉の大きさと品質に応じてふるい分ける。こうしてできた本茶を、さらに品種や産地ごとの特徴を加味しながらブレンドし、店頭に並ぶ最終商品へと仕上げるのだ。仕上げ茶は、茶問屋などを経て小売店に卸される。

煎茶工場の様子


海外から熱い視線を受ける「Matcha」

京都市内で茶の卸と小売を手掛ける「茶匠六兵衛」では、近年の茶市場の明確な変化を実感しているという。はじまりは、2016年頃のことだった。アメリカで、抹茶ブームの兆しが出始めたのだ。

抹茶はヘルシーで、栄養価に優れたスーパーフード。各種のビタミン、ポリフェノールの一種であるカテキン、リラックス効果のあるテアニンなどを含み、そのうえノンカロリーとくれば、まさに、いいことずくめだ。ポップでおしゃれなイメージのグリーンは、流行に敏感なニューヨーカーや米国の若者たちを惹きつけた。美容と健康に関心の高いアメリカ都市圏の人々からブームがはじまり、今はまさにヨーロッパへ、そして世界中へと波及している最中だ。

もともと、日本の抹茶は海外でPowdered green teaとして知られていたが、近年はすっかり「Matcha」という名前で親しまれるようになった。海外で開催される展示会では、現在、ジャパンブースの多くを「茶」関連の出展が占めるという人気ぶりだ。

抹茶の原料である碾茶
茶匠六兵衛 宇治抹茶

「シングルオリジン」― 単一農園・単一品種という価値

海外での爆発的ブレイクに伴って、国内の日本茶業界にも、新しい風が吹きはじめている。そのうちのひとつが「シングルオリジン」。シングルオリジンとは、同じ農園で生産された、単一品種の茶葉のみで仕上げた商品のことである。

従来、日本国内で流通していた茶は、そのほとんどが「ブレンド茶」だった。そもそもブレンドを行う意義とは、毎年の気温や雨量、収穫状況、製造条件の変化などに影響されにくく、安定した品質と味わいを提供できることにある。加えて以前から、日本人顧客は、まず信頼できる店やブランドを選ぶ傾向が強かった。「あのお茶屋さんのブレンドならば、間違いがない」というわけだ。

それに対してアメリカでは、ブーム当初からシングルオリジンの茶葉に注目が集まっていた。日本国内とのわかりやすいニーズの違いを挙げるとすれば、ひとつには、人々の健康志向の強さが挙げられる。国民皆保険に守られている日本人とは異なり、良くも悪くも、海外の人々が自身の健康を守る意識はずっとシビアだ。ゆえに、欧米では有機・無農薬栽培の原料を求める声がより強く、トレーサビリティの高い製品が好まれるという。

加えて、シングルオリジンの茶葉には、気候や地形など畑の立地や自然条件にまつわる特有の個性が表れやすい。それが自分の味の好みにぴったり合致したとしたら、それは幸運なめぐり会いに違いない。まるでワインのように、各農園の茶葉の特徴や栽培へのこだわりを知り、香りや味わいを比べて選ぶ。お気に入りを探す過程も、楽しいものだ。

いま、シングルオリジンの魅力は、ブレンド茶の安定性とも並び立つ日本茶の価値のひとつとして、国内でも注目を集めている。広く海外を旅した日本茶は、ワインやコーヒーなど他の飲料文化の流儀を学び、新たな魅力を備え、再び日本に戻ってきたのだ。

数多くの茶種が並ぶ
茶匠六兵衛
有機煎茶 シングルオリジン
さえみどり


お話をうかがった人

「茶匠六兵衛」井上 祐さん

茶匠六兵衛は、2022年5月にオープンしたばかりの日本茶小売店だ。代表をつとめる井上祐さんの生家は、文政元年(1818年)の創業以降、200年続く代々の茶商。生家から独立した後も、卸販売を中心とした茶の商いを、ただ一心に続けてきた。「大げさなことではないんですよ。ただ、この商売しかできないもんですから」と、井上さんは笑う。

アメリカに端を発した世界的抹茶ブームのおかげで、コロナ禍の不況をものともせず、業界には追い風が吹いている。だが一方で、井上さんは、日本茶の卸売業でありながら「海外向け出荷が9割」という状況を、どこか歪だとも感じていたという。

そんなあるとき、「京都吉田山大茶会」というお茶のイベントに足を運ぶ機会があった。吉田神社の境内に多数のブースが並び、日本茶、中国茶、韓国茶など、希少な茶葉も含めて世界各地のさまざまなお茶が何でも揃う。会場は大盛況だった。買い物客は、みな真剣にこだわって茶を選び、試飲を楽しみ、戦利品を抱えて嬉しそうに笑っている。

「国内にも、こんなにたくさんの熱烈な日本茶ファンがおられるやないか」。井上さんは、自身の商いを問い直さずにはおれなかった。海外での経験を得た今こそ、国内の顧客にもっと多様に、柔軟に、日本茶の楽しみ方を伝えられるのではないか。

「お茶と茶器に関する情報発信はもちろん、今後は日本茶の“マリアージュ(結婚)” のご提案を進めたいですね。つまり、和洋菓子やごはん、お漬物など、お茶と一緒に召し上がるフードとの組み合わせです。これからの日本茶の習慣とか楽しみ方、そして可能性をお客さんとともに生み出していけたらいいと思うんです」。

茶匠六兵衛の筆頭商品は「宇治抹茶 一期一会」。まるで、井上さんの新しい挑戦を象徴するような銘だ。一服のお茶を前にして人と文化が出会い、次の時代へと繋がっていく。


(取材・執筆/石田祥子  記事監修/井上祐さん)
参考文献:『日本茶のすべてがわかる本 日本茶検定公式テキスト』日本茶検定委員会 監修 NPO法人日本茶インストラクター協会 企画・編集 (2008年/ NPO法人日本茶インストラクター協会)
     『新版 日本茶の図鑑』公益社団法人日本茶業中央会、NPO法人日本茶インストラクター協会 監修(2017年/株式会社マイナビ出版)




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